剣山頂上ヒュッテは1955(昭和30)年、徳島県美馬郡木屋平村(現・美馬市)の新居熊太が開いた山小屋です。

熊太は、地域に小さな水力発電所を作ったり、自転車で四国八十八ヶ所の巡礼をしたりするなど、無類の新しいもの好きかつ意欲的な人で、剣山の頂上であめ湯(ザラメを溶かして生姜を効かせた飲み物)を売ることを思いつき、地元の大工らと小さな小屋建てました。

それがヒュッテの始まり。熊太が65歳の時でした。
水場から水を汲み上げる初代・熊太ら。
剣山の山容は、「剣」文字からは想像ができないほどなだらかです。山名の由来は、壇ノ浦の戦い(1185年)で敗れた平家・安徳天皇が密かに生き延び、三種の神器のひとつである宝剣を剣山に納めたことからきたなどとされます。
深田久弥は剣山について著書・日本百名山でこう述べています。
剣山の頂上は、森林帯を辛うじて抜いた山地で、その広々とした原は、昼寝を誘われるようなのんびりとした気持ちのいい所であった。すぐ真向かいには、こちらより僅かに低いジロウギュウがなかなか立派であり、北方には幾重も山を越えて瀬戸内海の方が見渡せた。殆ど平野らしいものは見えないから、逆に人里から剣山を仰ぐことはできないのであろう。それほど奥深い山と言える。
剣山頂上からジロウギュウへ続く稜線。
ヒュッテはその後、2代目の綱男、3代目智次らによる建物の拡張、改修を繰り返し、約100人の宿泊者を収容できる現在の姿となりました。

現在では、百名山登山や、三嶺までの縦走の基地としてのほか、光害マップが示す「日本で最も暗い場所」の一つとして、天体愛好家も多く訪れる山になっています。

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